その他

2013年2月11日 (月)

ぶらっと京都西陣、三十三間堂

京都の西陣あたり半日ぶら歩き。

ひょんなことから見つかったiPhone3GSをGPSログ取りとウォークマップとして使用しました。

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1週間のうち、自宅に帰ったのがわずか2日で、平均睡眠時間2時間・・・
こんな激烈な労働をこなした(当面の)仕上げが、大阪への出張でした。

大阪の仕事が終わり、それから、埼玉の自宅に帰宅しても、着くのが深夜12時すぎになりそうなので、もう1泊することにしました。

翌日が休日だということもありまして・・・(2週間ぶりの休日)

どうせなので、宿泊先は京都。

北野天満宮を訪ねてみたかったから。

とくに思い入れがあるわけではないのですが、京都の主要な神社で未訪問であったため。

 

あらかじめ、近くの宿に宿泊(ワンルームマンションの数部屋を使っているという、変なホテルだった)。

ホテルでたまたまカバンの奥底をあさっていると、iPhone3GSが出てきました。

すっかり失くしたものと思っていたのに!ここにあったとは・・・

せっかくなので、ぶら歩きのGPSログ取りと、地図代わりにiPhone3GSを使ってみることにしました。

GPSログ取りが可能であることは、すでに「通信なしのiPhone3GSでGPSログが採れるか?」で実証済み。

今回は、GPS-Trk2を使うことにしました。

 

Gpslog_2

 

地図はというと、MapFan。

Mapfun_icon

無料キャンペーンのときに入手し、iPhone3GSに入れておいたもの。

オフラインで使えます。

Mapfanmap

 

単純に宿から北野天満宮を目指して歩き、途中に目についたところがあれば立ち寄る、というプラン。
基本的には午前中だけのつもりでした。

ただ、昨年の大河ドラマ「平清盛」の影響もあって、三十三間堂に行きたくなり、結局は14時すぎまでブラ歩きしていました。

 

ぶらっと京都西陣、三十三間堂 at EveryTrail

EveryTrail - Find trail maps for California and beyond

また、カメラは荷物を減らすためにLX3を持参。
iPhone4Sも併用して使用しました。iPhone4Sは主にパノラマ撮影用ですね。

 

大徳寺。広大な境内。

その中の庭園の美しい龍源院というところだけ入りました。

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勲神社というのが、船岡山にありました。

聞いたことのない神社だと思いましたが、あの織田信長を祀ってもので、明治に建てられたらしい

当時、ほぼ天皇家公認(?)だったらしい。

なんと奇妙な感じ。 

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なお、この船岡山ってのは、応仁の乱のときに「西軍」が陣をはったところらしく、それから、周辺を「西陣」を呼ぶようになったということ。 

 

LX3で撮った写真は、なんか薄っぺらな感じがして最近好きになれなくなっています。

どうせなら、ってことで、後加工を思いっきりしてアップしています。

 

加工はiPadでしました。

使ったアプリは、Snapseed。

Snapseedicon

有名なアプリですね。

Googleが買収した会社のアプリ。

instagramの対抗馬と評されています。

「Drama」という、ちょうどOlympus Penの「ドラマチックトーン」のようなエフェクトがあって、それを多用しています。

ちょっとやりすぎかもしれませんが。

 

北野天満宮

もちろん、祀られているのは、かの菅原道真。

学問の神様です。

藤原氏によって左遷され、九州・大宰府の地で失意うちに一生を終えたといわれますが、死後、天満宮を建て、手厚く庇護したのがその藤原氏

皮肉に思えますが、これは菅原道真の祟りを恐れてのこと。

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なぜか、牛が横たわっていますね。

 
 

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天神さまといえば、梅。

梅園は開園してましたが、花はまだまだでした

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三十三間堂。

やっぱり、千体の観音像が立ち並ぶ様は圧巻ですね。

(写真は撮れません。仕方ないですね)

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2012年11月23日 (金)

吹割の滝

群馬県の吹割の滝に行ってきました。
紅葉のピーク。
撮影に夢中になっていると・・・

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相変わらず、毎週末は群馬の実家。
積年の課題を一気に処理していて、やることがあることあること・・・

仕事も繁忙期に入り、死ぬほど忙しい日々が続いています。

 

そんな折、週末でも事務的にやることがない日ができました。

こんなときは、たまには気分転換で遠出するのも悪くない。

 

そこで、当日思い立って向かったのが群馬の吹割の滝。

お袋の慰労のためですが、自分にとっては絶好の撮影チャンス。

 

紅葉がピークでしたから。

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現地で駐車場に留めて、いよいよ滝だ、と思っていると、お袋は、滝はいまさら見ないという。

滝まで歩くのが大変なので、売店に居るのだと。

 

仕方なく、一人で滝に向かいました。

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夢中で撮って、クルマに戻ると、お袋がぐったりとしてクルマにもたれかかっているではありませんか!

気がつくと、1時間以上かけていたようで、お袋はクルマのところでずっと待っていたようです。

 

どうやら、お袋はこれで風邪をこじらせてしまったようです。

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2012年11月18日 (日)

尾道

尾道を訪れました。
初めての訪問なのに、不思議とノスタルジーな気分に浸れる街でした。

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11月の初旬のことですが、広島で用事があった帰路、尾道に立ち寄りました。

以前から、行ってみたいと思っていた街。

尾道というと、最近はしまなみ海道の本州側玄関口としても、サイクリストにとっても特別の地になっています。

もともと、尾道は港町独特の風情で観光地としても人気があるところ。

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朝焼けの尾道の港。iPhoneのパノラマ撮影がiOS6になってより楽しくなりました

 

その風情のためか、以前から映画の舞台・ロケ地としてよく登場しています。

映画で尾道を知ったという人も数多くいることでしょう。

 

私もその一人。

 

私にとって尾道とは、映画「さびしんぼう」の街なのです。

 

この映画、なぜか高校の美術の時間にビデオで観たのが初めてでした。

 

私が通っていた高校は男子校。

感動した私は、その後、廊下の窓からはるか遠くに見える女子校を眺め、「僕のさびしんぼう」を探したくなっていました。

 

こう書くと、ただの胸キュン少年恋愛映画みたいに思われるかもしれませんが、そんな単純な映画ではありません。

むしろ、女性(とりわけ子を持つ母)こそ、じわっと感動できるのではないかと思うくらい。

独特の味わいがある映画です。

 

それほど映画を観ない自分ではありますが、それでも生涯のなかで忘れられない映画に出会っています。

 

「さびしんぼう」は、マイベスト5に確実に入る映画ですね。

(大林作品でいうと、「青春デンデケデケデケ」も入ります」

 

とはいえ、映画のロケシーンを一つ一つ克明に覚えているほどではありません。

 

でも尾道の坂と寺と港があれば、それで十分、さびしんぼうの世界を堪能できると考えました。

 

尾道には、夜入って1泊し、翌日の昼には発つ計画。

 

早起きして朝日を撮影しつつ、映画の主人公ヒロキの自宅として使われた西願寺を眺めて、後は観光コースになっている古寺巡りをすることにしました。

 

(時間的にチャリ乗りはあきらめ)

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早朝6時に撮影。感度が高いのでノイズが激しい

 

このコースは、とにかく細い坂道を歩く。

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雰囲気はいいけど、生活するには大変そうな街ですね。

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尾道古寺めぐりのハイライト・千光寺には、ロープウェイで登って行けますが、私は歩いていたらいつの間にか着いてました。

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尾道水道を一望できる、絶景スポットですね。 

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寺だけでなく、神社も立派なのがありました。

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実は風邪気味で、歩くのは辛いものがありました。

結局、コースの半分もいかないところで挫折。

 

駅前で尾道ラーメンを食べ、さいたまに帰るべく電車に乗ったのでした。

 

ノスタルジックな街と称される尾道。

確かに大正~昭和の香りが残っています。

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昭和の雰囲気を出すのに、「銀のこし」はいい感じ

加えて、高校生のころを思い出させる街であること、これが私にとってのノスタルジックの意味なのです。

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2012年8月18日 (土)

夏の宮島

平清盛で話題の安芸の宮島に行って来ました。
念願の地です。
とくに何をするってわけではなく、猛烈に暑くもありましたが、私的には非常に癒されました。

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今年の大河ドラマの「平清盛」、視聴率は散々なようですね。
そればっかりに話題も集中している感じ。

出来はそんなに悪いとは思わないのですが。

 

視聴率の件はさておき、ゆかりのある地は、どこも清盛で盛り上げようとしています。

 

安芸の宮島もその1つ。

 

宮島は、日本三景でもあり、世界遺産でもある。

平清盛を持ち出すまでもなく、宮島に与えられた称号にはすごいものがあります。

そして私にとっても、熊野と並ぶ、「今行ってみたいところランキング」のトップの地でもありました。

 

宮島には、なんといっても、あの厳島神社があります。

神社好きにとっては、絶対はずせない社です。

 

この厳島神社、創建に関しては、よくわかっていないようです。

現地でも、創建にまつわる資料はほとんど見ることができません。やっぱり、平清盛がらみの資料ばかりでした。

伝承としては、一応、推古朝から始まるとなっています。

でも、この社に関しては、もっと古くてもおかしくない気がします。

 

主祭神は、宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)。

海の神さまの代表格ですね。

そして、古代日本と大陸(朝鮮半島)との、つながりを象徴する神。

ヤマト王権の確立以前から、玄界灘で航海の無事を見守っていた神です。

 

厳島神社は、瀬戸にあってその宗像三女神を祀っている。

もちろん、政治的な思惑から、後付けで無理くり主祭神に祀られた可能性は高いでしょう。

そうであっても、それまでの信仰と無縁ではないはず。

 

機内をめざし大陸から来る船は、玄界灘から下関海峡を通って瀬戸内の海に入る。

瀬戸内の航海は難しいらしいです。座礁しやすいのでしょうか(島だらけですものね)。

厳島神社は、そんな危険な航海をする船乗りの守神として、太古の昔から鎮座していたのではないか。

また、安芸の隣は吉備。 
吉備は、ヤマト王朝が日本を統一する以前、有力な豪族がいました。

一方の反対側、つまり日本海側は出雲です。
出雲は、いわずもがなですね。

古代、まだ有力豪族が群雄割拠していた時代、瀬戸内航路を押さえることには大きな意味があったと推測できます。

 
瀬戸内の海を抜けた船がたどりつく地は、摂津でしょうか。

ここには、住吉大社があります。
やはり、海の神さまですね。

宗像三神がすべて女神なのに対して、住吉三神はすべて男神であることは、以前にも述べたところです

また、摂津が百舌鳥古墳群のような大古墳がある難波と隣接しているように、強力な王権支配が確立していた地だったわけですが、それはヤマト王権だったともいわれています。

もちろん、その先には大和(ヤマト)の地そのものがあります。

摂津は、ヤマトにとって、大陸との航路の陸揚げの地だったのでは。

そして、攝津に離着する船は、瀬戸内を航海中に、宮島で航海の安全を祈願していた。

なんか、スケールのでかい古代のロマンを感じますよね。

 

国が内向きに安定していた平安時代の末期にあって、同じようにスケールのでかい古代のロマンを感じとったのが、平清盛だったのかもしれません。

あのときのように、もっと大陸と交流したいって。

だから厳島神社を庇護したのかな…

 

もっとも、厳島神社そのものは、そんな説明抜きに、ただ眺めているだけで素晴らしい。

ひとつの芸術作品ですね。


 

 

厳島神社のシンボルが、大鳥居。

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朝昼夜、潮の干満、いろいろな表情を拝むことができました。

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↑上は、ちょっとHDRをかけてみたもの。

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そして、社殿。

ここも潮の干満によって異なる表情を見せてくれました。

 

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ちょっと驚いたのが、無防備な感じのところ。

 

オープンなんですよね。

ちょっと火をつけようと思ったら簡単に・・・なんて余計な心配をしてしまいます。

 

この社殿自体、当然、国宝だし世界遺産の対象。

それなのに、24時間、いつでも近くまで寄れるんです。

塀に囲まれたりしていませんから。

 

回廊を渡ったり、拝殿に行くには決まった時間に入場料払って入る必要がありますが、社殿自体を眺めるだけならその必要はありません。

干潮のときなら、歩いて本殿の脇まで行けちゃいそうです。

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普通、大きな神社は、鳥居の先に門があり、そこをくぐって拝殿の前に行きます。

本殿や拝殿が回廊が取り囲まれている神社の場合、その回廊自体が塀のような役割となって、外部との隔たりを作っています。

門を閉めてしまえば拝殿や本殿に近寄れないし、回廊が取り囲むことで、外部から中が覗

けないようにもなっている。

 

 

ところが厳島神社はそんな造りにはなっていません。

門らしきものがないし、回廊は塀というよりは、拝殿・本殿に行くための廊下なんです。

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このような造りになっているのは、この神社の由来によるものなんでしょう。

もともと、宮島自体がご神体だったんですね。

島自体が神体だから、島を拝むときは当然、海から拝む。

だから、鳥居が海の中にある。

後から社殿が造られましたが、島自体がご神体なので、これも海の中に造った。

そうなると、鳥居と拝殿の間に門を造る意味は、確かにありませんね。

 

また、ご神体が島なので、社殿と島を隔てるものがあってもダメってことなのでしょうか。

つまり、鳥居の正面が島で、その間に拝殿が置かれるわけですが、拝殿と島(というか山)の間が遮られてはいけない。

だから、島側から見ると、社殿がスケスケに見えることになるんでしょうね。

 

 

世界遺産なのに無防備な感じで心配になりますが、考えてみれば、本来、神社はみな、こうであったはず。

自然が神で、その自然を祀っている。

だから、自然との間に垣根はないはずなのです。

 

厳島神社の場合は、島全体が神さま。

だから、島にいること自体、神の懐にいることなんですね。

 

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とにかく暑くて、あちこち動き回ることはしせんでした。

でも、ぼんやり鳥居を眺めているだけでも癒されました。

景観が見事であることに加え、神のパワーに全身が包まれている感覚。

なんとも幸せな気分です。

 

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2012年5月23日 (水)

宇宙中年

金還日食が日本で観れましたね。
私もばっちし、写真を撮りました。
ここ数日、私はすっかり宇宙中年になってました。

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ガキのころは、結構、宇宙少年でした。

理科のテストも、天文分野だけは勉強しなくてもほぼパーフェクト。

その遺産は青年になっても生きていて、星空があれば女性を口説けると思ったものです。

(自称、星の王子様 (^-^;)

 

それらは遠い過去の話にはなってしまいましたが、今でも金環日食が見れるとくれば、心躍らずにはいられません。

 

そして、世紀の一大イベントを控え、たまたま宇宙にまつわる体験が続いたのでした。

 

まず1つめが、名古屋市科学館に行ったこと。

ここには、世界最大級のプラネタリウムがあるんです。

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ドーム部分がプラネタリウム。

でかそうでしょう!?

 

開業1年経ってくらですが、まだまだ人気で、平日でも早い時間帯はすぐ満席になってしまいます(完全座席指定です)。

4時間後の席が取れました。

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開演前に、中の様子をチラッと。

当然、開演中は撮影禁止です。

 

さすが、最新鋭だけあってリアルです。

すべて独立シートになっているのがいいですね。

 

当然、金環日食の説明がプログラムに組み込まれていました。

そこでは、日食は専用のメガネを使うべきこと、売店の日食メガネは売切れになったことが説明されていました。 

実はプラネタリウムの座席予約をしたその足で、250円の日食メガネを売店で買っておいたのでした。

観終わった後、改めて売店に立ち寄ってみたところ、確かに売り切れ。

後々、この250円の日食メガネが大活躍するのでした。

日食メガネはいろいろな種類が出回っていたようですが、人気のため、各地で品薄の模様。

最低でももう1つほしかったので、コンビニで見つけて買いました。

こっちは1500円弱。

 

続いて、映画鑑賞の話。

金環日食を2日後に控えた土曜日に観た映画が「宇宙兄弟」。

疲れがたまっていたので、ノンビリしようと決めた日に妻に誘われたので、たまたま偶然見ただけなのですが、一応は、元宇宙少年だった私、少しうるっときてしまいました(宇宙飛行士になりたかったことはありませんが)。

 

そして、いよいよ金環日食当日。

実家にいたので、群馬で金環日食を迎えることになりました。

デジ一のK-rで撮影。

三脚も当然使います。

レンズはというと、PENTAX-A 1:4 200mm

なぜ、このレンズかというと、望遠が必須ということもありますが、たまたま名古屋で買った250円の日食メガネがぴったりはまったからでした。

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メガネといっても、減光板をプラスチックの外枠で囲っているだけなのですが、この外枠がレンズの先端にピタっとはまったのです!

これに、2倍テレコンバーターをはさみ、35mmフィルム換算で焦点距離600mmにします。

 

はたして、こんなんでちゃんと撮れるか?

 

太陽が欠け始めてから、露出をいろいろ変えてテストしました。

どうやらこの日食メガネ、撮影に使うには暗くなりすぎだったようです。

 

ISO200の場合、絞りを開放付近のF4.5くらいにしても、シャッターは5秒くらい開ける必要がありそうでした

それだと、ちょっと露光時間が長すぎのような・・・

そこで結局は、ISO感度を800まで上げて、絞りは開放のF4.0、シャッタースピードは2秒にしました(今考えると、シャッタースピードは落としてでも、もっと絞ったほうがよかったかも)。

全部で300枚は撮影したかと思いますが、完全に金還状態になる前後を、アングル固定で10秒おきくらいにインターバル撮影しました。

それをつなげて動画にしたものをYouTubeにアップ。

少しオレンジ色が強調されて写るようですね。

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2012年2月 8日 (水)

比叡山

珍しく、近江に滞在。
目的地は、坂本。
延暦寺と日吉大社です。

 



恒例の関西2月の旅。
今回はかねて行ってみたかった比叡山。
 
延暦寺と日吉大社があります。
 
前泊地として、大津市の琵琶湖の畔のホテルを確保。
坂本の街か雄琴温泉もよかったんですが、適当な宿を見つけられず。
 
湖畔の宿なら、朝日昇る琵琶湖の写真が撮れるかもっていう期待もありました。
しっかり、カメラと三脚持っていきましたから。
 
ところが、残念ながら雨。

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せっかく早起きしたのに・・・

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また、密かに、チャリ乗りしたい気持ちもありましたが、この天気じゃ無理です(体調も悪かったのですが)。
 
大津市街から比叡山のお膝元の坂本までは、京阪石山坂本線に乗ります。
わずか2両編成。チンチン電車みたいです。

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坂本というと、私がまず思い出すのは明智光秀。
確か、坂本に城を持っていたはず。
 
でも、坂本といえばなんといっても比叡山でしょうね。
山の上に延暦寺があって、麓には日吉大社がある。
 
両者ほぼ一体となって信仰の山の歴史を刻んできたんですね。
 
京阪の坂本駅。

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こじんまりとしつつ、結構、モダンなデザインです。
 
駅を出てすぐに参道。
坂本名物の石垣が張り巡らされています。

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日吉大社がすぐですが、先に延暦寺に行くことに。
坂本ケールブルに乗ります。

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このケーブルカー、日本一長いとか。
 
平日のお昼前で、客は私ともう1組のみ。

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かなり急な坂を登っていきます。
 
途中から、しっかり雪景色。
 
代々、僧侶はここを歩いて登っていたんでしょうね。
 
さすが、修行のメッカです。
 
延暦寺の境内はとても広いのですが、大きくは東塔、西塔、横川の3エリアに別れるようです。

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坂本ケーブルの終着駅の延暦寺駅から近いのは東塔。
延暦寺駅からは、5分くらい歩きます。
 
路面が凍って滑るので気をつけて歩きます。

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とても全部は周れそうもありません。
 
東塔エリアだけの訪問でしたが、根本中堂とか大講堂など、主要なものがあるので、とりあえず満足。

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モヤっていて視界が悪かったのですが、これはこれで写真としていい感じ。

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大講堂では、最澄や親鸞など、延暦寺に縁のある歴代の僧侶などの肖像画が並んでいます。
 
肖像画自体は最近書かれたものとはいえ、すごいです。
圧倒されました。
 
天海を探したのですが、大講堂の肖像画にはありまんせんでした。
 
まぁ、その程度なんですね。
でも、大講堂の外には、天海を紹介したボードを見つけることができました。
 
残雪が静寂感を際立たせ、神々しさが満ちあふれてます。

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仏教はよくわからないのですが、そんな私でも敬虔な気持ちにさせてくれますね。
 
 
再び坂本ケーブルで比叡山を降りたころ、すでに14時近かったのですが、昼食とらずにすぐに日吉大社に。食べるところもなかったし。

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日吉大社のことを「ひえたいしゃ」と言ってしまいそうになりますが、これはあながち誤りではないようです。
 
実際、「日吉」と書いて「ひえ」と読む場合もあるし、そもそも明治になるまでは「日枝」だったようです(そもそも、「比叡山」はもともと「日枝の山」だったようです)。
 
自分としては、東京の永田町とかにある日枝神社の総本山というイメージが強いです。
 
じゃあ、なぜ「日吉」にしたかは不明ですが、豊臣秀吉がこの神社を庇護した理由の1つに、秀吉の幼名が「日吉丸」だったからと言われているので、昔からあてられていた字なのでしょう。
 
日吉大社の祭神は、大己貴神(おおあなむちのかみ)と大山咋神(おおやまくいのかみ)。
 
大己貴神は、天智天皇が大津京を造ったとき、鎮護のために大和の大神神社から勘定したものらしい。
 
大己貴神のほうが格が高いので、大山咋神の上に置かれていますが、もともとはあまり関係なさそうです。
 
なお、大己貴神は、かの大国主命(おおくにぬしのかみ)の別名ということになっていますが、そもそも出雲の神の大国主命と大神神社との結びつきはよくわかりません。
 
少なくとも、日吉大社(および日枝神社)と大国主命の関連性を追求しても、あまり意味はなさそうです。
 
それよりも、大山咋神。
 
この神自体は神話上の登場人物にすぎない感じですが、とにかく山の神だということが重要。
 
日吉大社は別名、山王権現。
 
よくわからないけど、山の信仰(山岳信仰ともちょっと違うみたい) がもともとあったところに、最澄が延暦寺を造ったとき、留学先の唐の信仰を持ってきてあてはめたようです。
 
それが、京都へ遷都してからは、京の守護神として権威づけられたとのこと。
 
 
やっぱり、自分には神社のほうが落ち着きます。

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日吉大社の本殿は、日枝造りという唯一の建築様式だそうです。

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今、見ることができる建築物は、だいたい桃山時代かそれ以降。
 
信長の叡山焼打ちの余波で焼け落ちてしまったのを、秀吉が再興したとか。
 
桃山時代の建築物って、神社では結構、古いほうです。
周囲の玉垣(?)も古さを醸し出しています。

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冬の平日だからでしょうか、人が少ない。他の参拝者には2人しか会いませんでした。
行事のあるときは、大変賑わうのでしょうね。
 
桜や紅葉の時期はさぞかし美しいことでしょう。

 
日吉大社を出たころ、すでに15時をすぎていました。
大津市内には他にいくつもの歴史的スポットがあるのですが、時間的に無理だとあきらめ、いったん京都に出てから新幹線で帰京したのでした。

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2011年12月24日 (土)

2011年のクリスマスPHOTO!

今年のクリスマスも家族団らん。
クリスマスツリーの写真を掲載します。
もちろん、家族写真や料理写真も撮ったのですが・・・

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家族や料理の写真は、公開できるほどのものではありません。

 

だから、ツリーだけ。

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寄ったものばかりですけど・・・・

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2011年12月 8日 (木)

祇園の夜

大阪出張に往路、無理やり京都に立ち寄り。
今度こそ、市内の紅葉が見たかったからですが、とうに陽が暮れての入京。
祇園近辺をビデオに撮っただけとなってしまいました。

Topphoto

 

京都には先月にも行ったばかり。
でも、市内のメインどころの紅葉を楽しめなかったということがひっかかっていました。

そこで、大阪の仕事を翌朝に控えて前日入りするとき、無理くり京都に立ち寄りました。

ところが、京入りしたときは、とっくに陽が落ちていました。

京都はまだまだ紅葉の盛りでしたが、夜はさすがに辛い。

すでに、ライトアップはどこもやっていないのです。

半分、写真撮影が目的で、K-rを持参したのですが、レンズをよりによって、暗いTamron A03にしたため、より悲惨なことに・・・

そこは気持ちを切り替え、また祇園から河原町あたりをぶら歩きつつ、K-r動画を撮影しました。

 

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2011年11月20日 (日)

天狗の里、鞍馬山で紅葉を楽しむ

秋の京は紅葉!
定番スポットの見ごろはもう少し先なので、天狗のように赤く染まった鞍馬山を登りました。

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去年に引き続き、秋に関西に行くチャンスがありました。
となると、やっぱり紅葉の京都ですよね。

でも、東山とかの定番スポットはまだ見ごろじゃない。

ちょっと北のはずれの山を登るといい感じみたいだったので、そこに行ってみることにしました。

最初、行ったことのない大原にしようかと考えたのですが、この時期は超混みのバスに頼らざる得ないみたいなので、電車で近くまで行ける鞍馬山に行くことにしました。

源義経が幼少を過ごした寺だとNHK大河ドラマで知ってから、気になってはいたのですが、行ったことはありませんでした。

週間予報では雨だったのですが、京都に着いてみると、悪くない天気。
ほぼ晴れでした。

チャリに乗るチャンスであるものの、準備してなかったし、登り道が不安だったので、素直に電車と徒歩にしました。
鞍馬山の数kmの山道はどうせ歩くしかないので、結果的にこの選択は正解でしたね。

Hiei_train

京阪線の終点、出町駅から比叡電車に乗ります。

わずか2両編成、10分おきくらいに走っているとはいえ、車内はギュウギュウ詰めでした。

途中、紅葉のトンネルを抜けるのが目玉です。

 

Kurama

鞍馬といえば、鞍馬天狗

鞍馬駅を降りてすぐ、こんな像があります。

(たいそう、ご立派なモノをお持ちなこと(゚ー゚; )

 

ここは鞍馬山の入口でもあります。

鞍馬山は山全体が鞍馬寺っていう感じ。牛若丸が預けられていた寺として有名ですね。

 

鞍馬山を登って降りて、貴船神社まで行き、帰りは貴船口駅から帰るという計画です。

(実際に登ってみた鞍馬山は、メチャ険しかった。完全に甘くみてました(゚ー゚;)

道中は写真を撮りまくり。

三脚も持っていきましたから。

 

 

 

いつものように、広角はLUMIX DMC-LX3にまかせます。

K-rのレンズをどうすべきかについては、SMC PENTAX-A F1.4 50mmは迷いなく決めたのですが、やっぱりズームがないと不便ですよね。

だから結局、TAMRON A03も持っていくことに。小さいし。

 

風景写真なので、なるべく絞って撮りました。

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遠景を広く撮るのに、50mmAレンズはあまり向いてないですね。

 

古いだけに、解像度が低いからでしょうか?

 

やっぱり、ボケを楽しみたくなるレンズです。

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TAMRON A03のほうは、暗いレンズですが、どうせ絞るのだから問題ないだろう、って思いほとんどF10以上にして撮りましたが、こっちはなんかネムイ感じ。

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ブログ用に写真を選んでいたら、自然とTAMRON A03はあまり選んでいませんでした。

LX3と同じくらい。

 

さて、この日もK-r動画もけっこう撮りました。

よい出来ではありませんが、編集したのがこれ。

 

やっぱりバッテリーがネックですね。

ライブビューも多用したこともあって、減りが早いこと早いこと。

予備バッテリーが必要なようです。

 

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2011年10月10日 (月)

私がスティーブ・ジョブスに想うこと

突然やってきた訃報。
以来、世界中で悼む声があふれています。
それを見聞きしていたら、なぜか泣けてきました。

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アップル社のWEBサイトから拝借。

 

●マックに恋した日々を思い出しました 

一介のサラリーマンにすぎない私は、スティーブ・ジョブスを経営者としての範とするようなことはないですし、もちろんとジョブスと個人的なつながりもありません。

自分の人生を振り返っても、ジョブスの生き方や哲学の影響を見つけることはできません。

でも、なんか、泣けてきたんですよね。

それなりに思いがこみ上げてきたというか、ちょっとセンチメントな気分になったというか・・・

 

現在の我が家には、MacBook1台、iPad1台、iPhone2台、iPod Touchが1台、AppleTVが1台。

計6台のアップル製品があります。

たまに、アイチューンズミュージックストアで音楽を買うこともあります。


これまでの人生で、こんなにアップルに囲まれた生活は初めてです。

おそらく、世界中の何千万世帯が同じようになっていることでしょう。

気がついたら、生活のなかにアップルの製品やサービスが深く入り込んでいる・・・

 

私自身は、所有製品数では及ぶけれども、今より、もっともっとも、深く濃く、アップルと接していたと思える時期がありました。10年ほど前までです。

アップル製品といっても、マックだけですけど。

マックとは、Macではなく、Macintoshのことです。

 

すでに学生時代には、アルバイト先の「Macintosh II」「同SE」「同Plus」に触れていましたが、初めてマックを自分のものとしたのが、1993年の暮れでした。

 

「PowerBook165C」という機種を14万円くらいで買ったのでした。

 

それから私は、すっかりマックの虜になってしまいました。

 

毎日、マックのことばかり考えていたといっても過言ではありません。

毎年のように買い替えをし、世紀が変わるころまでには、その数が7台になっていました。

 

最も魅了されたのは、そのインターフェイス。

グラフィカルであること、直感的なこともそうですが、とにかく首尾一貫しているところに感銘を受けました。

インターフェイスの根底にある強烈な思想、哲学に惚れ込んでしまいました。

 

それだけでなく、操作そのものがとても楽しかった。

マックで何をしてたのか、って問われても、大したことはしてなかったかもしれません。

とにかく、触っているだけでも楽しかったのです。

 

ちょっと悲しくなったのは、かつて、自分が狂おしいほど好きになった恋人のことを思い出し胸がキュンとなるのと同じような感覚だったかもしれません。

 

●ジョブスは世界一めちゃくちゃな経営者のはずだった...

スティーブ・ジョブスは、ここ数年、世界でもっとも影響力ある経営者とみなされていました。

まるで「神様」かのごとき、リスペクトされてきました。

死に際しても、彼の功績を讃える言葉が世界中であふれましたね。

そのなかには、ピュアに「世界一の経営者」とする言葉も見受けられます。

私個人としては、「経営者」という一言でもってジョブスの功績を讃えることに、なんとなく違和感を覚えました。

また、アップル社は時価総額世界一というのも、不思議な感じがしてました。

それは、私のなかで、

アップルは世界一愛すべき会社だけど、世界一経営がいい加減な会社で、

スティーブ・ジョブスは世界一創造的な経営者だけど、世界一めちゃくちゃな経営者

というイメージが抜けきらなかったからです。

  

私がマックに一番夢中だった時期、アップル社にジョブスはいませんでした。

もちろん、アップルの創設者であることや、マックの誕生にいかに深く関わったかなどは知っていました。

いや、知っていた程度のレベルではありません。

当時の私のようなマック信者には、伝説となっていました。

 

でも、それは過去の伝説。

 

一方でこの時期は、アップルの歴史でもっとも苦難の時代でした。

ウィンドウズが勢いを増すのを尻目に、凋落の一途。

 

この時期のマック信者は、強がることで自らを慰め続けていたように思えます。

「ウィンドウズはマックの猿マネだ」

「ペンティアムよりPowerPCのほうが速い(最適化されてないから遅く感じるだけだ)」

「クリエイティブな人は、マックを使ってる」

・・・

屈折したその感情の矛先は、憎悪となってマイクロソフトにも向けられました。

私自身も当時、マイクロソフトやビル・ゲイツが大嫌いで、事あるごとに「悪の帝国」呼ばわりしてました。

「マイクロソフトは何にも新しいものを生み出していないじゃないか。ただマーケティングがうまいだけだ」

こう息巻いていましたが、それでも、世の中の人がみんなウィンドウズマシンを使う事実に変わりはありません。

どんどん状況が悪化していくにつれ、このままではアップルはダメになると思いはじめました。

経営の内情が相当ひどいということも見えてきました。

当時読んだ「マッキントッシュ物語」という本に、確か「世界で最も人々に愛される企業にして、最も経営がむちゃくちゃな企業」というくだりがあったように記憶しています。

Machistory

 

後々、ジョブスが復帰して経営を建て直したわけですが、当時は、それほどジョブス待望論が強かったという記憶はありません。

復帰を望む声がなかったわけではないのですが、それは古き良き時代を懐かしむ郷愁のようなものだった気がします。

そもそもジョブスがアップルを追い出されたのは、彼が経営者としてめちゃくちゃだったから、というのが当時の私の認識でした。

ジョブスは、経営者としての失格の烙印を押されていたはずなのです。

 

●現実ゆがみフィールド 

強烈なビジョナリストで周りをグイグイと引っ張っていくと同時に、軋轢も生む。

ジョブスの個性の一端を前述の「マッキントッシュ物語」からは、次のような表現で拾い出すことができます。

 

「現実ゆがみフィールド(reality distortion field )

 

ジョブスが開発者を説得するとき、鼓舞するときの空気を示した言葉だそうです。

まるで魔法にかかったかのように、およそ不可能と思われることであっても、可能なことと錯覚してしまう。

マックは、まさにその魔術が生み出した産物だといえます。

 

もともとマックの開発は、社内の少人数プロジェクトでした。

当時のアップルの最重要プロジェクトはリサの開発。

リサはマックの原型ともいえるマシンです。

もちろんジョブスの理想から開発はスタートしたのですが、その開発がアップルの社運を左右するほど重要な位置づけになるにつれ、ジョブスはリサプロジェクトから外されていきます。

すでにアップル社の経営陣の多くが大企業出身者になっていました。

彼らには、大事なプロジェクト進めるのにジョブスのやり方は不相応と見えたのでしょう。

居場所を失いかけたジョブスは、マッキントッシュプロジェクトに目をつけ、乗っ取ります。

そして、わざとリサと競争させるのです。

反主流であることの象徴として、マッキントッシュプロジェクトは「海賊(パイレーツ)」と呼ばれるようになります。

 

マックの開発は、労働という観点からは無茶苦茶で、開発者達は睡眠時間もろくにとらずに働き続けたようです。

でも、ジョブスの「現実ゆがみフィールド」の魔法にかった開発者たちは、「世界を変えることができる」という覚醒状態のまま働き続けたといわれます。

結局、社内の「勝負」という意味ではマックが勝ち、マックこそアップル社の命運を握る製品となります。

リサのほうが高性能でしたが、どうしても保守的になり、あれこれ付けていくうちに価格が高くなりすぎたことが最大の失敗原因と言われています

反対にマックは、極限までスリム化して、リサの4分の1の価格でこの世に送り出されました。
スリム化の中に、ジョブスのこだわりが随所に表れていました。

 

ただし、マックの販売が軌道に乗る前に、ジョブスは会社を追われることになります。

やはりジョブスには大企業となったアップル社をマネジメントすることをできず、邪魔者扱いされてしまったのです。

皮肉にも、ジョブスがアップルを去り、スリム化の路線を軌道修正して以降、マックの売り上げが伸びていったようです。

 

●アップル復帰後のジョブス 

そのジョブスは、自身が率いていた会社NeXT社がアップルに買収されることとなるとともに、アップルに復帰します。

1997年初頭のことです。

 

私は、このときのことを今でも忘れることができません。

 

96年の暮れから、アップルが買収されるとの報道が、毎日のように流れていました。

ついに来るときが来たか、と思ったものです。

当時、世界中のマック信者が固唾を呑んで時々刻々と流れるニュースに耳を傾けていたといえるでしょう。

サンマイクロシステムズが買収するという報道にいたっては、とても信憑性があるように思えました。

私も、アップルという会社が無くなることの覚悟を決めようとしていました。

 

ところが年明けに、予想だにしなかったニュースに接することになります。

なんと、逆にアップルが買収する側になったということ。

しかも買う相手は、かのNeXT社で、アップルはNEXTSTEPを手に入れるだけでなく、ジョブスも迎え入れるという。

 

本当にびっくりしました。

狐につままれたような気分でした。

このとき裏でどのような駆け引きが行われていたかを、後日、「アップル」という本で知ることができました。

Applebook

 

とりあえず、アップルが存続することになって安堵はしました。

ただ、ジョブスの復帰については、嬉しかったものの狂喜するほどではありませんでした。

なにせ、経営者として失格の烙印を押された人物ですから。

彼が復帰したからといっても、相変わらずアップル社の前途は悲観的にしか見えませんでした。

この時点で、今のアップルを予想できた人が、果たしていたでしょうか?

 

ジョブス復帰後、アップルはiMacやiBookなどのヒットで、なんとか命脈を保ち、私もしばらくユーザーを続けました。

ただ私には、iMacやiBookには技術的先進性が感じられず、デザイン上にギミックを施したようにしか見えませんでした。

そして、世の中でWindowsXPが主流になるころ、ついに私もマックを捨てることになったのでした。

 

これも皮肉な結果ですが、私がマックから離れたころから、アップルの大躍進が始まりました。

 

 

だから私は、IT界の巨人としてのアップル、カリスマ経営者としてのジョブスのことはあまり知らないのです。

それでも、iPodが飛躍の大きな起爆剤であったことは知っています(実はiPodが出たときも、やはり技術的な先進性を見出せなかったため、冷めた目で見ていました)。

 

iPodからiPhoneやiPadにつながるのはご承知のとおりです。

後々見聞きしたところ、成功した要因は、垂直統合と称されるパッケージの妙なのでしょう。

アイチューンズミュージックストア、iTunes、そしてiPodやiPoneなどが有機的に統合されたシステム。

また、それがここまで受け入れられたのは、「クール」だからではないでしょうか。

「クール」というイメージが確立できたのは、デザイン、広告戦略、ブランディング、いろいろな戦略がうまくいった。

そういう意味で、かつて私がマイクロソフトを揶揄したのと同様、アップルはマーケティング主導で成功を成し遂げたといえるかもしれません。

 

ことはそう単純ではないかもしれませんが、いずれにしても、スティーブ・ジョブスの力があったからこその成功。

私がアップルから目を離しているうちに、ジョブスは経営者として数段大きくなっていったのでしょう。

世界一のビジョナリーが、戦略眼とそのマネジメント力も兼ね備えたのですから。

一度は失格の烙印を押されたものの、戻ってきたら名実ともに世界一の経営者になってたんですね。

 

 

●ジョブスの死去は、ひとつの時代の終焉かも

ジョブス亡き後のアップル社の行方にも、注目が集まっています。

一部では、アップル社のみならず、米国IT産業の今後を心配する声まであるくらいです。

ジョブスの死去は、ひとつの時代の終わりなのかもしれません。

 

ジョブスは1955年生まれ。

60年代末から70年代にかけての多感な時期、当時の米国カウンターカルチャーの影響を大きく受けたと思われます(ジョブス自身は反戦運動に参加したりはしてなさそうですが)。

既成の概念にとらわれず、創造にはときとして破壊も伴い、そして世界を変えていくという発想は、この時代ならではかもしれません。

世界を変えられると信じていた、そして、その夢をコンピュータで実現しようとした。

IT産業の聡明期にはこういった人々が多くいて、業界を牽引してきたようですが、その象徴的存在がスティーブ・ジョブスでした。

なんだかんだいっても、この世代がずっと米国の文化を引っ張ってきたのかもしれませんね。

その感性があったから、ジョブスはiPodやiPhoneなどを成功させることができたのかもしれません。

 

ジョブスの訃報を聞いて、私は「フォレスト・ガンプ」という映画を思い出しました。

知的障害のある主人公のフォレストは、確か、団塊世代でした。

つまり、60年代から70年代を青春期として過ごしたのです。

フォレストはベトナム戦争に従軍するなど、いちいち当時の時代を示す象徴的な出来事に巻き込まれますが、決して人生を野心的に生きようとか抗しようとかはせず、素直に自分を取り巻く環境を受け入れていくだけでした。

そして、気づいたらビジネスで大成功します。

物語は、ビジネスに成功したフォレストが、新規公開した株式を買ったという話で締めくくられます。

おいしそうな社名だったからなんとなく買ったというのですが、それが「アップル」だったというのが落ちです。

後に隆盛するIT産業の萌芽がこのとき表れ、それはヒッピー文化を享受した世代が生み出したことを示唆しているのです。

 

散漫な文章になっちゃいましたが、ジョブスの訃報に接して、こんなことを述べたくなったのでした。

 

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